2014年10月4日土曜日

エッセイ1 ことばの不思議



音が似ているだけで、面白いと感じることがある。


ガルバンゾ―という文字の連なりを初めて見たのは、スーパーのお豆のコーナー。
なんてやる気のあるお豆なんだ!と、一瞬で気に入り、手にとってみて、自分の勘違いに気づく。
自分の心の中の動きは誰にもわからないのに、ちょっと恥ずかしい。
そう、私は、「ガルバンゾ―」を「頑張るぞー」と勘違いしていたのだ。
でも、その日初めて出会ったそのお豆に、その日以来少し親近感を覚えていて、その名前に出会う度に、ほのかに嬉しい。


アフリカにアルジェリアとナイジェリアという国がある。
日本語の「ある」と「ない」が入っているので、何となく、つながりを感じてしまう。
それぞれの国のことばでは、もちろん日本語の「ある」「ない」という意味はなく、また、語句としての切れ目も異なる。私はアルジェリアの言葉もナイジェリアの言葉もわからないが、いつも音の不思議を感じる組み合わせだ。


そういえば、私の名前は、「みな」で、これは、外国でも珍しい名前ではないので、他国の人に覚えてもらいやすいのだが、ちょっと違う反応が返ってきたことがある。

インド出身の女性に自己紹介をした時のこと。
彼女は、とても信じられないという様子で、「本当に?本当に『みな』という名前なの?」と聞く。
インドやネパールでも「みな」という名前があると、私は聞いたことがあったので、自国にある名前が日本にもあることに彼女は驚いたのだろうと思ったが、そうではなかった。
聞けば、彼女の生まれ育った地域の言葉で、「みな」という音は、「魚」を意味するそうだ。
新しい知識の新鮮さと、自分の名前が新たな意味を付加されたような喜びを感じ、また、私は魚好きなので、単純に嬉しかった。
彼女は、自分の住んでいる地域では、親は子どもにそのような名前はつけないだろうと言った。
確かに、日本でも「魚」という名前はつけないので、彼女の驚きも理解できた。

音は同じでも、意味が違う言葉。
でも、社会の中での習慣には同じ部分もある。
そのような異文化の交流は、いつも不思議でおもしろい。

しばらくして、その話をアメリカ人の友人に話すと、「人の名前についてそんなことを言うとは、その人は失礼だね」と言った。だが、私がむしろ楽しかったのだと話すと、理解してくれた。

国籍や生まれ育った環境によらず、個人的に様々な感じ方をする自由を、私たちは持っている。
そして、それらを共有し、理解しあう自由も。
素晴らしいことだ。